シンオウビギニング総括

うみんちゅです。

今回は僕がBDSP期にTonamelの認定大会として半年間継続させたオンライン大会『シンオウビギニング』について振り返ります。

 

一般的にはバグ炎上やランクマ未実装により、歴代でも類を見ない速度で衰退したと言われている作品『ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』にて行われたオンラインの対戦大会です。

ルールは当時普及していたシングル63。禁伝幻は使用禁止。BO1のトーナメント形式で進行し、優勝者を決めます。

  • 実際どうだったの?

累計参加者数は1160名です(全6回)

キャンセルも出ているので実質的な数字はもう少し下回ると思いますが同時期に行われていた大会では最大規模であったと認識しています。(というか僕がやるまで対戦文化自体がほぼ絶滅状態だった)

  • 目的

  1. 絶滅状態だったBDSPの対戦文化を復活させ環境を維持する。(界隈の維持)
  2. BDSPからポケモン対戦を始めた層、リメイク作品の懐かしさから復帰した層がポケモンを続けてくれる理由を作る。(価値の提供)
  3. 大会をきっかけにポケモン友達を作ってもらう(新たなコミュニティの形成)
  4. 主催側の後進を増やすことによりランクマの代わりに大会に出るという文化を定着させる(新たなコンテンツの確立)
  • 大会進行、管理

Tonamelを導入しました。トーナメント表の作成や参加者管理が凄まじく簡単になり認定支援を受けると賞品まで提供して頂ける神プラットフォームです。

  • 所感

目的に関して2~4はおおむね達成できました。僕の予想を超える反響があり素晴らしかったです。シンオウビギニングを目標に対戦を続けてくれる方もいましたし、大会をきっかけにTwitterやディスコ―ド等で新たなコミュニティも形成されていました。

環境終盤には自分が大会の開催日程を抑えられないほど毎週他の大会が開催されるようになりました。これぞ僕が最も難しいと思っていた新たな対戦コンテンツ、つまりはポケモン対戦の新しい楽しみ方』が確立された瞬間です。1Youtuberの触れ合い大会で終わらず本当に良かった。

1は微妙ですかね。これがあったから界隈の過疎が緩やかになったんですよと肯定されたらそれまでですが維持、発展させるには僕の力がまだまだ足りなかったかなと。

大会の改善点としては僕が広告塔として選手出場しながら現場の運営も全て一人でやっている際、参加者への問い合わせに遅れることがある点でしょうか。シンオウビギニングの運営は基本的に私一人です。

運営協力に手を挙げてくれる方もいらっしゃいましたが、あくまで有志の方が体調が良い時にというスタンスだったので毎回という訳ではありません。

あと大会やイベント運営に興味があるから手伝いたいという目的でなく、純粋に僕の応援をしたい僕の企画に携わりたいという方がいらっしゃったのでどうリターンをお返ししたら良いんだろうと考えているうちに塩対応しちゃったかなぁと申し訳なさを感じていたり...。お手伝い頂いた方、その節は本当にありがとうございました。

手伝って頂いた方に全く非はありませんが大会運営の協力を仰ぐ際は純粋な自分のファンでなく、大会運営そのものに興味や知見のある方、後進として立候補してくれる方へお願いするべきと改めて感じました。ちなみにこの教訓はその後開催されたボスラッシュやクインテット等で活かされます。

後はスポンサードしたいと言ってくださる方への対応や座組みが甘かったこと。正直、企画当初はプロゲームの大会みたいなスポンサードなんて考えてなかったので...ZONEさんとAugerさん以外の経営者の方から、有志で支援したいという声を頂いた時はとてもありがたかったです。これを機にゲーム大会の法律や規約を再度勉強しましたがTonamelの規約上、叶えられなかったご要望があり継続的な協賛とはなりませんでした。ここら辺の力が足りてないので今後もっと大きな企画をやる時までに力と知識を身に着けよう。

 

そんなこんなで意外と僕の大会は「運営のやりたいことをやる」だけではなくて界隈やユーザーのことを色々考慮した上で立案されていたりします。ここに書いたことはかな~り一部分な気もしますがこの大会をきっかけに後進の方も出ている様なので、何か参考の一つになれば良いなと。オンライン大会開催の参考書的なのもいずれ書くかもしれません。では本日はこの辺で。

ここまで読んで頂きありがとうございました。